【卯雨庵】水急不月流【禅Zen】

禅語「水急不月流」を解説する記事です。



こんにちは、Sunnyです。
新しいシリーズで、禅語を覚えていく記事を書きたいと思います。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

本日は「水急不月流」についてです。

水急不月流

よみ:みずきゅうにしてつきをながさず

月が煌々と見える季節になりましたね。秋の夕日や月光は、その明るさに驚くこともあるほどです。

「名月」ともてはやされたのは昔のほうがよほどでしょう。そんなことを考えると、心がホッと落ち着きます。

月の美しさは、しばしば水とセットで語られますね。本日の句も、水の流れの上に留まって輝き続ける月について歌ったものです。



改めて「あー月って流れないのだ」と気付く位だから、どんな流れだったのだろうと気になりませんか?

ざあざあ流れていたのか、
さらさら、くらいだったのか、
大きく深い川だったのか、
それともささやかな流れだったのか。

 


流れる、という言葉から、ふと自分を振り返ってしまう人もいるでしょう。ほんの小さな、見過ごしてしまった心の引っ掛かりや、思ったのに反対の声にかき消されて忘れてしまった突拍子ないアイディアのこと。言えなくて飲み込んだこと。したくて我慢したこと。

もちろん、それらすべての判断は正しかったのです。思い付きのまま突っ走る人が大量にいたら、安心して生活できないですものね(いったい誰が、私に美味しいチャイを入れてくれるんです?安心して通販したり、交差点を通過したりできますか?)

沢山流れる情報、ああしたほうがいいか・こうしたほうがいいかの判断、これで大丈夫かなという迷いが、日常にあふれています。

疲れて、なお頑張ろうとすると、「あの人は(大丈夫なのに、できるのに、幸せそうなのに)どうして?」って他人のことまで過剰に気になり始めるのが厄介です。

昨今だと、YoutubeとかWebとかで「大丈夫そうな人」「もっとやれって言ってくる人」が無限に見つかりますので、一言でいうと気にしちゃだめだと思います。


そりゃ、探せば見つかりますよね。

多くの人が情報発信する時代ですから、都合のいい情報って発見可能なわけです。高校・大学あたりの「調べて書け」「レポート書け」期の弊害だと思うのですが、いつの間にか、自分の気持ちやアイディア、直感を表現することが苦手という人になる。

苦手というより、自信がないというのが本質でしょうか。だから、さまよっているうちに「自信ありそうに大きな声で語る人」が正しいのでは、と感じ、あなた自身は小さな声で話すようになってしまいます。

声の大きな人「だからあなたは駄目なんだ」


うるさいわ、と思っていましょうね笑。
私は、物事を断定的に語る人が苦手です。突き詰めようと迫ってくる時間のないタイプも。

性格に起因しているのかもしれませんが、考えをまとめ中、あることに関して起こったストレスを処理中など、うまく外界とつながれないタイミングもありますよね。そこに粘着してくる厄介なタイプに付き合うのは、本当にストレスです。ストレスが重なると判断力が落ちるので、私の場合それがとても嫌です。

声の大きい人たちは、他人を動かすこと、他人に影響を与えることに価値を置いています。誰だって「世界をよくするために何かしたい」気持ちはありますが、相手を慮り鋭く洞察して、一座建立(いちざこんりゅう)=お互いに気持ちよく過ごすことができないのであれば、意味がありません。

こちらの側としては、そういう人たちの"親切"を、「タイミングが合わなかっただけだな」と軽く受け流しておくのがいいと思います。


本日の句「水急にして、月を流さず」
足元の流れと月が、まったく切り離されている様を歌ったものです。


天上に輝く月のように、悠然としていたいものですね。







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