【卯雨庵】残心【禅ZEN】


禅語「残心」を解説する記事です。




こんにちは、Sunnyです。

本日は「残心」についてです。


残心

よみ:ざんしん

読んで字のごとく、物事を終えた後もその場所に気持ちを残しておくことをいいます。「利休百首」に「なにしても 道具置きつけ 帰る手は 恋しき人に 別るると知れ」とあります(千利休の茶道の師である武野紹鴎(たけのじょうおう)作であるようです。利休百首は後世に弟子たちによってまとめられたものです)

利休百首にあったっけ…で自分の扇子を出して広げました



茶道のお稽古では、大事な三要素として「位置の決定、点前の流れ、動作」を教えていただきます。位置の決定は…途中でもぞもぞの動作を入れないため。点前の流れは…途中でもぞもぞの時間を作らないため。動作は…お客の心にもぞもぞを作らないため。わかるようなわからないような説明ですみません。

一座建立と申しまして、茶道では申し合わせの上、もてなし側と客側が図らってスムースに場を作ることを大切にしています(と書いている私は、薄茶はカジュアルに~のアドリブがとても苦手です) 

道具を置くときに手がぶれた、不要な音が鳴った、は、場にとってノイズになります。釜の湯が沸く音に耳をそばだてる文化なのですから、「そのくらい~」が許されない(前提である)のはお許しください。


逆に、わずかな物音を使って場を調整することもあるわけです。共蓋の水指を少し鳴らしてお菓子を思い出してもらうとか、少し畳を擦る音をさせて「(出会いですよ、正客さん)」みたいなね。(性格悪い人みたいですね/私はこの緊張感が大好きです

よく「非日常をたのしむ場」と茶道は説明されていますが、「非言語のやり取りをたのしむ」ことがそうなのかなぁと思います。相手への配慮を動作に表しますし、相手からの配慮を動作から受け取ります。

場にノイズを作らないために、「重きものは軽く、軽きものは重く」扱えとも教えられます。客になった際には、茶杓につけた単語ひとつで、「ああそういうことか!」と謎が解けた感覚を覚えることもあります。


つまり、場全体に対して蜘蛛の巣のように神経を放っています。ものを置きつける極意は「一発で決めること(直しが利かない)」と気を付けることだなと最近思うのですが、そのためには「次にどうなるかの流れ」が頭に入っていて、正確に行うための動作の精錬、きれいに動作するための位置の決定までをクリアする必要があります(神経質ですね/私はこの緊張感が大好きです

次に来る動作(流れ)について、自分の手が離れた後も気持ちを残して気配りすること。お茶や拝見の道具を出したら、相手に対して「どうぞ」の一呼吸を挟むこと。それが「残心」かと思います。そうした、気持ちの切れ間のない連続が、心地よいお茶の時間をつくることにつながっていきます。




武野紹鴎は室町~戦国時代にかけての人ですが、「道具を置きつけて戻す時の手は、恋しいアノ人と別れるときの気持ちで」と表現するなんて、今様ではありませんか?

そういえば、10月29日は紹鴎の命日(紹鴎忌)だそうです。



>
寒暖差の季節、おすすめの美容液はこちら(私も使ってます)





コメント